2012年05月18日

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2001年03月28日

痩せたくなる

11時起きに失敗。14時起き。情けない。
近所に、学園祭に来ていたfrafoaを見る。
いいなあ、三上さち子。こけしみたいで。やせっぽちの女の子が大好き。憧れる。ああいう風に、生まれたかった。ぶよぶよしている自分が嫌いだ。いっぺん削ってみようと思ったけど、しんどくなって無理だった。駄目な奴は駄目な奴らしく、太ってないとな。
はじめは、ギターの音が雑なんじゃないかと思った。彼女の声のいいところを消してしまうのではないかと思った。だけど、ちゃんと、あれで、彼女の衝動を呼び起こすグルーヴが出ているんだなと終盤でわかった。彼女から目を離せなかった。
本当に歌わなくてはいけないことを歌っている人って、それほど多くない。よくぞ、歌ってくれたと思うような歌を歌ってくれる人、というのは、滅多に会えない。だから、今日は、嬉しかった。それと同時に、戸惑いもした。「この世界で、僕は、あとどれくらい生きられるんだろう?」たぶん、それが、彼女の叫びの神髄なんだな。何度も、そう、叫んでいたし、MCで、「(来年二月まで)生きていたら、アルバム買ってね」とか言ってた。いったいどんだけ切迫した死生観をもってたら、あと3ヶ月の命を危ぶんでいられるんだろう?どこまでぎりぎりに闇と向かい合って暮らしてるんだろう。「生きたい!」って叫ぶ、あの、彼女のいたたまれないほどのケナゲさと、イタイケさ。ずるくすら、あるよ。でぶのおばさんには、とうてい出来ない。
夜中に電話がかかってきた。そういえば、夜遅く、友達から電話がかかるのって、久しぶりだな。

2001年03月18日

生活

2月は、CD貧乏だったんだけどな。でも、特に何か言いたくなるような事もなかったな。3月は、CD屋に行く気すらしない。最後に出掛けたのは、いつだったっけ。そもそも、近所のスーパー以外にどっかに行ったのって、何時が最後だったかね。
最近は、6時に朝刊読んでから寝て、3時くらいに起きて居るのですが、さすがにぼちぼち修正が必要になってきたかもしれない。ので、生活矯正サイトというのを考案しようとしてみた。定時に起きて書き込まなければ、ペナルティがかかるやつ。勿論、技術はない。誰か、既に作っているのではないかと思って、ネットを探して、徒労に終わった。

2001年03月10日

人民服

親が大量の人民服を購入して、お裾分けしに来てくれた。ユニクロの工場って元々は人民服の生産ラインだったところを遣い廻してるらしいので、人民服。置くところが無くて、邪魔。しかも、今更のように、ニットやらダウンやら。
お返しに妹から借りたプラダのリュックを返したら、金具が緩んでいたので怒られた。使ったこと、無いんですけど。
滅多に世の中に出ないけど。なんか、結局、南北差は解消されないまま、地球上の至る処に、途上国の水準の値段のモノと西欧宗主国ブルジョワ御用達ブランドのものが、棲み分けつつも流れ込んでいるのかなあと思いました。ウチは、いいです。南の方で。

2001年01月07日

ビョーク虐待一応反対

飲み会が9時からだったので、ダンサー・イン・ザ・ダークを見ておいた。
猿回しとか闘牛とか纏足とかがたぶん全否定できないように、こういう映画も、文化のキワミ?ただひたすら、ビョークの歌を美しく響かせるがためだけに周到に用意される、極限状態・悲劇的なシナリオ・モノトーン・沈黙・死・・・過剰だってば。「この生き物はいぢめればいぢめる程ええ声で鳴きよるんですわ〜。ぐへへ」っていうのをやりたかっただけだと思うんですけど。どう見てもヨーロッパな景色でヨーロッパ人が演じるアメリカのプロレタリア世界だとか。北欧の純真(な筈無いんだけど)ビョークを合衆国と対置させてみたいヨーロッパ人監督の意図。分かるんですけど。(どうしても、ビョークを痛めつける係を外部に持っていきたいのね・・・。)なんか、自分のシュミを満たすやり方としては、ねえ。或る意味、作り手としての良心捨ててるし。あれ?面白かったし褒めてるつもりなんだけど、そういう文章にならないな。制作意図の邪さに共感し、堂々と仰々しくやってのける確信犯ぶりに勇気づけられ、音楽も素晴らしく、ますますビョークが好きになった。但し、「感動」からはかけ離れていた。ところで、カメラは手で持たずに、ちゃんとレールの上を走らせて欲しかった。画面が揺れて、酔いそうになった。最近流行ってるのかな、こういうの。そのうち観客失神すると思うが。・・・んー、ものを褒めるのって難しい。

2001年01月04日

見棄てないで、ダーリン。

ずっと前から実家に、クリスマスカードが届いていた。なんで、こういうバタ臭いもん、わしによこすのかね。しかも、なんで、カードに書いてくるのかなあ。「松浦理恵子の『裏バージョン』、読め」とかいって。まさか、見透かされているのかなあ。苦笑いするほか無い。いや、見透かされているんだろう、きっと、わたしは、あまりに底が浅くて。クリスマスカードを送ってくれた彼女は、結婚して、外国で豊かに優雅にシアワセに暮らしていて、今、私がどうしているかなんて、情報源も乏しいはずだけど。どうせ、私はこんな風に決まっている。引き籠もって、妄想に生きて。しかし、どっちかというと、後味は悪いよ。これ読んで、「まあ、なんだか、こーこーの頃のあたしたちみたいね」なんて面白がる気には、到底なれません。
 ところで、わたしは数年前、やおいの論理的正当性(笑)を論証できていたつもりでいた。「性差別という言葉を理解できる程度の感度をもった人間は、同性愛にしか興味を持てない」ということと、「ある世代のある種の人間は、自分が女であることなんか、絶対に受け容れられない」ってことを軸に。そして、「それでも人が性愛に幻想を抱き続ける可能性はある」から、行き着く先は、やおいか宝塚しかないんだってば、っていう。忘れていたのではなく、自分にとって自明になっていたから興味が失せたんだが、そのころに考えていたことを、くっきり思い出した。ああ、あれで、よかったんだ。そういう意味で、嬉しくて、勇気づけられたので、それで、よしとしましょう。しかし、松浦理恵子って相変わらず、男のキャラを創らないなあ(たぶん、創れないでなはく)。そう言う意味で、やおい質とは方向性が違うのかもなあ。